教えるということ
2017年12月28日 Magic: The Gathering■はじめに
最近上司に、初めて携わる新しい仕事を教わったのですが。
その上司が「テキストには書いていないけど、この手順の次はこれをするといいよ」
と言ったので、僕はそれをメモしました。
次に、テキストを基にロールプレイを行ったのですが、その際に数十分前に上の発言をしていた上司に
「その手順の次にこれをやるのは絶対駄目だから!」
と注意してきました。
僕は(何か間違えて聞き違えてよいこととダメなことを逆に理解していたのかな?)と思い、同じ教えを受けていた周りの人にそのことを聞きました。
すると皆、「確かにこの手順の後にはこれをするといい」と言われたと答えたのです。
こえーよ!!!!!!!
鶏かよ!!!三歩歩いた後に物事忘れるのかよ!!!
過労かよ!!!この職場不安だわ!!!寝ろ!!!
サイコパスかよ!!!犯罪計数振り切れかよ!!!
と、咄嗟思ってしまうほどマジ意味わかんねーよハゲ。と感じたのですが。
教える方がブレるとこんなにも教わる側は恐怖を感じるのだなと、身を持って知りました。
■教える側としてのみみみ
たまーにありがたいことに僕に教えを求めてきてくれたり、意見を求めてくれる人がいます。
個人的にはそれが、直近では自分の不利益になろうと、周りの人がレベル高い方が環境が良くなって自分も伸びるはずだからええやん。という考えで、なるべく自分がよいと思ったことは隠し事なく伝えたいと考えています。
自分の意見を素直に受け入れてくれたら嬉しいですし、それでまわりの人の知識や技術が上がったらもっと嬉しいと思います。それで自分への信頼が高まれば、狂信的な信者が大量発生して不労所得で生きていきたい(途中から願望)。
しかしその一方で、「それは違うよ」という一言を期待している自分もいます。なぜなら、自分がやって自分がうまくいったことをそのままなぞるだけでは、教えた人が自分を越えることは難しいと思ってしまうからです。
また、MTGのような対戦ゲームでは特にですが、結果を残すことで自分の意見の正しさを証明したい!というのは強いモチベーションになります。だからこそ、教わる側の「違うよ」を適度に求めてしまう側面もあります。
その結果、教える側に実行してほしいことを伝えながらも、それに反発して欲しいといった、矛盾した考えを教える側のみみみは教わる側に持ってしまうことがあるなぁと思いました。
■教わる側のみみみ
というわけで教えるみみみは矛盾を抱えて生きているわけですが、最初の話に戻るとそういう願望を全面に押し出す教え手って、教わる側からしたら恐怖でしかねぇな!!!と思ったのです。
教えたことをやってほしくないってどういうことやねん!!と実際に教わる側のみみみは思ったし、今回のように初歩的な内容では、そんな混乱を招くことしないでくれよ!!!と憤りまくるのですが、中級、もしくは上級な内容になったとき、教える側のみみみの矛盾が問題になることもあるかなぁなんて考えてしまったのです。
■線引きはどこか
上でダラダラ書いたように、教える側はある段階から、自分の教えに反発、もしくは異論を唱えて欲しい状態になることがあると思います。これが上手く機能して、お互いが対等に意見交換出来るようになると、各個人が伸びやすいよい環境になると思います。
しかし、その段階になる前の初歩的な状態でそれをやると、平均がとても低いのに自分の考えに固執して伸びづらい環境になるのかなぁなんて考えました。これを正しく判断する材料が客観的な視点だったり、第三者の意見だったり、数字だったりするんではないのかなと思いました。
今度のGP京都はチーム構築。もっといえばそれを調整する猿山は、色々な考えを持った個人の集合体です。幸い猿山では皆が対等に意見しあい、内部に客観的な視点を持った人がいて注意しあえている(多分)と思うので、この環境をよりよくするために前述のツールなんかを使って上手く立ち回りたいなぁなんて思いました。
んでこういう風に自分の考えをさらけ出すのも自分はよいことだと思うので、今後も自分は人にDNとかブログを書くことを勧めていきます。皆、DN、書こう(直球)
というわけで、今日もネタ切れを起こしそうになりながら搾り出した思考でした。
最近上司に、初めて携わる新しい仕事を教わったのですが。
その上司が「テキストには書いていないけど、この手順の次はこれをするといいよ」
と言ったので、僕はそれをメモしました。
次に、テキストを基にロールプレイを行ったのですが、その際に数十分前に上の発言をしていた上司に
「その手順の次にこれをやるのは絶対駄目だから!」
と注意してきました。
僕は(何か間違えて聞き違えてよいこととダメなことを逆に理解していたのかな?)と思い、同じ教えを受けていた周りの人にそのことを聞きました。
すると皆、「確かにこの手順の後にはこれをするといい」と言われたと答えたのです。
こえーよ!!!!!!!
鶏かよ!!!三歩歩いた後に物事忘れるのかよ!!!
過労かよ!!!この職場不安だわ!!!寝ろ!!!
サイコパスかよ!!!犯罪計数振り切れかよ!!!
と、咄嗟思ってしまうほどマジ意味わかんねーよハゲ。と感じたのですが。
教える方がブレるとこんなにも教わる側は恐怖を感じるのだなと、身を持って知りました。
■教える側としてのみみみ
たまーにありがたいことに僕に教えを求めてきてくれたり、意見を求めてくれる人がいます。
個人的にはそれが、直近では自分の不利益になろうと、周りの人がレベル高い方が環境が良くなって自分も伸びるはずだからええやん。という考えで、なるべく自分がよいと思ったことは隠し事なく伝えたいと考えています。
自分の意見を素直に受け入れてくれたら嬉しいですし、それでまわりの人の知識や技術が上がったらもっと嬉しいと思います。それで自分への信頼が高まれば、狂信的な信者が大量発生して不労所得で生きていきたい(途中から願望)。
しかしその一方で、「それは違うよ」という一言を期待している自分もいます。なぜなら、自分がやって自分がうまくいったことをそのままなぞるだけでは、教えた人が自分を越えることは難しいと思ってしまうからです。
また、MTGのような対戦ゲームでは特にですが、結果を残すことで自分の意見の正しさを証明したい!というのは強いモチベーションになります。だからこそ、教わる側の「違うよ」を適度に求めてしまう側面もあります。
その結果、教える側に実行してほしいことを伝えながらも、それに反発して欲しいといった、矛盾した考えを教える側のみみみは教わる側に持ってしまうことがあるなぁと思いました。
■教わる側のみみみ
というわけで教えるみみみは矛盾を抱えて生きているわけですが、最初の話に戻るとそういう願望を全面に押し出す教え手って、教わる側からしたら恐怖でしかねぇな!!!と思ったのです。
教えたことをやってほしくないってどういうことやねん!!と実際に教わる側のみみみは思ったし、今回のように初歩的な内容では、そんな混乱を招くことしないでくれよ!!!と憤りまくるのですが、中級、もしくは上級な内容になったとき、教える側のみみみの矛盾が問題になることもあるかなぁなんて考えてしまったのです。
■線引きはどこか
上でダラダラ書いたように、教える側はある段階から、自分の教えに反発、もしくは異論を唱えて欲しい状態になることがあると思います。これが上手く機能して、お互いが対等に意見交換出来るようになると、各個人が伸びやすいよい環境になると思います。
しかし、その段階になる前の初歩的な状態でそれをやると、平均がとても低いのに自分の考えに固執して伸びづらい環境になるのかなぁなんて考えました。これを正しく判断する材料が客観的な視点だったり、第三者の意見だったり、数字だったりするんではないのかなと思いました。
今度のGP京都はチーム構築。もっといえばそれを調整する猿山は、色々な考えを持った個人の集合体です。幸い猿山では皆が対等に意見しあい、内部に客観的な視点を持った人がいて注意しあえている(多分)と思うので、この環境をよりよくするために前述のツールなんかを使って上手く立ち回りたいなぁなんて思いました。
んでこういう風に自分の考えをさらけ出すのも自分はよいことだと思うので、今後も自分は人にDNとかブログを書くことを勧めていきます。皆、DN、書こう(直球)
というわけで、今日もネタ切れを起こしそうになりながら搾り出した思考でした。
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