夢に殺されるかと思った。

唐突になにを言い出すのかと思うが、簡潔に言えば目覚め辛い怖い夢を見たので、
それを怖くなくするために、自分に何が起きていたのかをハッキリさせるために
文章としてここに具体化させたというそれだけの話だ。

最近自分は、原因が複数考えられる眠りに関する問題を抱えていて、そのために
様々な実験(というと大げさだが)を繰り返している。例えば眠気が強すぎると
思ったときに、処方されている睡眠薬を減らす。その程度のことと考えて欲しい。

さて結論からいうと、先ほど得た経験から、結局のところここ最近自分の
睡眠の悩みの原因はおそらく睡眠薬にあると理解した。
台風(自律神経の乱調)の影響もあるだろうが、服用時と非服用時に
明確な差異として際限ない眠気に今日は襲われた。

また、非常に悪い夢を見たし、起きることに大変な困難を伴った。
以下には自分が体験した内容を忘れないよう、覚書として時系列を
遡って論述する。この文章がまた、同様な症状に陥った未来の自己
や、他者にとって有益なものであることを願う。

・まどろみ

 先ほど私に起きたのは眠りの浅い段階から論述すると以下のようになる。
まず起きようとしてまどろむと、馴染みの音楽が頭の中で流れる。
なんでもいい。君がよく聞く君の好きなタイプの音楽だと思って欲しい。
君はそれを繋ぎとめようとする。だが、段々とそれはただの単調で
メロディーや歌詞のないアップテンポなビートになっていき、
最後には高速のビートになっていく。

振り切れたメトロノームのように、メタルバンドのドラムスのように
それは激しく真っ黒な空間で鳴り響く。それに身をゆだねていると
君は浅い眠りに堕ちる。これが第一段階だ。これに抗うには身体の
感覚を取り戻す必要がある。よく夢の中で頬をつねり夢を自覚する
描写や演出を見かけるが、それは身体的感覚が夢と現実を強く切り
分けていることを上手く表現している。

 頭の中に鳴り響く音楽は現実と夢を混濁させるためのトリガーだ。
夢でも現実でも音楽を感じる感覚は変わらない。
ビートもそうだ、感覚は変わらない。

夢と現実で明確に変わるのは身体感覚だ。
身体感覚、例えば随意筋を動かして得られる感覚。手を握ったり広げたり
する感覚は、現実特有のものだ。それを一番簡単に得られるのが他者から
の接触で、僕は恐らくそれを渇望しているから寝る前に寄り添う誰かの手
を強く希求しているんだろうと感じた。

 他者の力に依存せず、自身の力で身体的な感覚を得ること、
例えば手を握るのにもまどろんだ思考では難しい。
丁度貧血で体を動かすのがおっくうなように、
手を握るのでさえ強い意志の力が必要だ。そこまで至らないときには
薄目を開けるよう努力する。統合失調症のように誰かが部屋にいて
見ているような感覚になることもある。おそらくこの眠りにとり憑か
れると、人に見えないものを信じるようになるのだろうと自分は感じた。

もしかすると超常的なものや神の啓示、そういったもの感じるにはこう
したまどろみに引っ張られる必要があるのかもしれないが、
幸い私は現実的な意識に踏みとどまれているので、
恐らく未だそこに触れず常識的な範囲の人間に納まっているのだと思う。

・第一階層:浅い夢

まどろみとビートに堕ちた君がたどり着く場所は、
大抵君が幼少期を過ごした場所や過去に住んでいた良く知る場所になる。

とはいってもそこは感覚の世界だ。
共通する景色は存在するが、見知った場所でも誇張された表現として
出現する。例えば部屋が増えていたり、広くなったり狭くなったり
別の景色が繋がったり分かれていたりしている。

そこで君は過去一緒に過ごしていた人物、典型的には両親や兄弟、
昔なじみの友人と出会う。悪質なのはそこに介入する、
自分は良く知っているが会ったことがないような人物である。

芸能人や故人、そういった人物が現れて君と会話を交わす。
彼らの存在を不思議に思わないのは、彼らが君の良く知る言葉や話題を
自然に話すからだ。彼らは君を現実からより遠ざけるためのトリガーで、
夢の中の友人や親族と協力して君をより深い階層の浅い夢に引きずり
こもうとする。第二階層は夢の中の夢だ。

・第二階層:夢の中の夢

 夢の中で日常をおくる君はいつか無意識に眠りにつく。
夢の中の夢は、浅い夢と似ているが、より虚構の面が強調される。
登場人物や景色もより自分から遠ざかる。
テレビや動画で見た景色、親しげな他人との交流を経て、君は何がしかの
教訓を得ることがある。ストーリーに偽装されたその夢の中で、君は
疑念を抱いてそれが夢だと見抜いて夢から覚めようとする。
気付けなければおそらく、連続して君は次の階層の夢へと堕ちていく。
あとは同じだ。より深く虚構じみた夢に落ちていく。

意思の力、理性や論理の力で夢の中の夢から脱出し、現実に近づいた君は、
そこで周囲の人に先ほど見た夢の内容やそこから得た教訓を語る。
そこで自分が夢を見ているのか、現実なのかを確認する。

人に話し、言葉に起こすことで、自分の論理や現実を思い出そうとする。
一般に夢の話は他人に嫌われるというが、おそらく現実でもなされる
こういった行動は、現実を現実と認識するために人間には必要な儀式
なのだろう。現実を現実として理解するためのベースが身体的感覚に
依存しているから我々は現実を認識出来るが、恐らくそれを得られない
夢では体験した夢の内容を言語化することでしか矛盾点を探しここが
夢か現実かを判断しえないのだろう。

・現実

 まどろんでいる自己は現実に存在しているが、完全に覚醒している
わけではない。身体的な感覚と、記憶の連続性に依存して今ある自己を
現実の自己とはっきりと意識している。これが覚醒している状態では
あるが、所詮これもまどろみの一つの態で、不安定なものである。

まさに今、自分は覚醒しこの文章を打ち込んでいるが、
それは非常に不安定で、それを払拭するために今自分に起きたことを
言語化して認識を深めている。

所謂人に嫌われる「面白かった夢の話」だ。
「面白かった夢の話」の難点は、それがどんなに興味深い内容であっても
、結局はその結末が夢オチ、つまり現実で起きたことでないから
恐らく嫌われるのだろう。

それは自己中心的な自分語りでしかなく、他者はそのために費やす時間
を無駄だと捕らえ、不快感を覚える。
更にいってしまえば、夢語りの話者にとってそれを受容するものはそれ
が現実か夢かの判別に必要な壁うちの壁としての役割であり、
不快になるのも当たり前のことであろう。

こうしたことはおそらく酒やドラッグなどの酩酊状態で身体感覚が希薄
になった際にも起きる作用なのではないかと私は予測する。

しかしこの文章のように自分が見た夢を語る人間は、現実と夢の境界が
身体的感覚という曖昧なものに立脚している以上、おそらく無くなる
ことはないのだろうと夢の中で奔走した私は感じた。
彼らはおさらく様々な原因から一部の身体的感覚を失っていて、
論理的矛盾や違和感を探るために他人を利用し、考えをまとめている。

・さいごに
最後に、文章化することは他者へ語りかけることと同様に有効であること
をこの文章において強調しておきたい。こうした行動は、身体的感覚同様
連続性という現実を虚構と判別する重要な道しるべになる。

また冒頭の表現は睡眠薬が悪であるかというような印象を与えてしまっている
懸念があるが、あくまでもこれは自分の場合であり、睡眠薬含む向精神薬には
勿論よい作用も沢山あることは強調しておきたい事実であるのでここに併記
しておきたい。



というわけでやたらに固く誰に需要があるかも、ここに載せるべき内容なのかもよく分からん(敢えていえばはてブ向き?)が、怖い夢を見てそれを助長してるのが睡眠薬でしたってのを小難しく書いたのが上の文章でした。夢に関する創作とか悩み持ってる人の参考になれば幸いです。ちゃんちゃん。

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